山口工材(株)創立50周年記念誌

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社章について 創立20周年の際、社員をはじめ一般の方からも公募し選ばれました。 安定感のある正三角形を基に「メビウスの輪」を象っています。 メビウスの輪には裏表がなく、縦に切っても大きな輪になり、二つに分かれることはありません。 つまり、会社にも社員にも裏表のないイメージを強調し、常に輪(和)となるようにとの願いが込められ、 また、コミュニケーションの「C」を3色で表しています。 この度、創立50周年を契機に新たなる決意をデザインに込め、100年企業を目指し、さらに成長を続けてまいります。 YAMAGUCHI KOUZAI 03

憩・潤・夢・創造人 心に秘めて 当社は昭和48年7月に初代代表取締役 松本雄彦 が設立し、お陰様で令和5年に創立50周年を迎えることが できました。これも偏に、元請業者・協力業者の皆様、代々の社員・職人、地域の方々のご指導、ご支援の賜物と深く 感謝申し上げます。 振り返りますと波型スレート工事の施工と販売業者として設立以来、時代の変化に対応しながら屋根・壁・板金・ 内装工事等の専門工事業者として事業を拡大し、現在に至っております。 この間、私なりに一生懸命努力をしてまいりましたが、船頭の私がもっとしっかりしていれば要らぬ苦労をせずに 済んだのではと考えたこともあります。特に、リーマンショック時には、大きな試練・苦難もありましたが、多くの方々に 支えられ、当社は今日を迎えることができました。本当にありがとうございました。 「 憩・潤・夢・創造人 」 これは山口工材株式会社の20周年で公募したキャッチフレーズです。 この思いを今一度顧みて、社員一同が「おこるな」「いばるな」「あせるな」「くさるな」「まけるな」の5つの戒めを 心におき、100年企業に向けて躍進することを願っています。 今後とも、専門工事業者として地域社会の発展に貢献してまいりたいと考えておりますので、皆様の変わらぬご指導、 ご鞭撻を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。 相談役・社長からのご挨拶 相談役 古松 孝蔵 YAMAGUCHI KOUZAI 04

創立50周年に あたって 50周年を迎えたこの節目の年は、私たちにとって特別な意味を持ちます。半世紀にわたり、山口工材株式会社は 変化の激しい産業環境で成長し続けてきました。これは多くの方々のご支援とご協力のおかげによるものと心より感謝 申し上げます。 創業から現在まで当社は常にお客様のニーズに応えるために日々の業務に邁進し、新たな分野へ挑戦してきました。 これらの努力により信頼と評価を得ることが出来たと信じています。 50年間にわたる歩みは決して順風満帆ばかりではありませんでした。困難な時期もありましたが、それらの試練が より私たちを強くする経験となりました。大切なことは決して挫けずに困難に立ち向かい、学ぶ姿勢を持ち続けること でした。これからも変化を恐れず新しいチャレンジを受け入れ、更なる成長を目指します。 時代は日々進化していますが、私たちは創業の精神を守り、安心して暮らせる持続可能な社会環境づくりに貢献し、 地域に選ばれ、地域の暮らしと産業を支える屋根・壁・板金・内装・柱脚工事の専門建築事業者としてこれからも 尽力いたします。 また、社員一人ひとりの成長と幸福にも注力し、職場環境の向上にも努め、誇りを持って働ける山口工材株式会社で あり続けるよう取り組む所存です。 これまで支えてくださった全ての皆様に心から感謝申し上げます。そして、これからも皆様と共に歩み続け100年 企業に向けて成長してまいります。今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。 感謝 代表取締役 社長 古松 幸雄 YAMAGUCHI KOUZAI 05

04 07 18 24 26 29 33 34 38 44 48 ご挨拶 50年の軌跡 技術の軌跡 50年を振り返る -専務・常務にインタビュー社員とともに 創立50周年記念行事 100年企業へ 我ら、創造人 -社長と社員の座談会100年企業に向けて -社員・協力会社様からのメッセージ資料編 編集後記 お客様や元請からの信頼を第一に考え、 人・仕事・会社を磨き、建設業を通じて 社会に貢献する企業を目指します。 社員が自己に誇りと責任を持ち、 誠実に行動し常に未来に向けての創造の精神と開拓する姿勢を持ち、 その地域社会から真に信頼される良い会社であること。 社員にとって夢のある会社であり続けることを目指します。 CONTENTS 経営理念 行動理念 YAMAGUCHI KOUZAI 06

since 1973

1973~1982 1973 1974 1975 1976 1977 (昭和48年) (昭和49年) (昭和50年) (昭和51年) (昭和52年) 1973(昭和48年) [国] ・第1次オイルショック [県] ・関門橋が開通 ・維新百年記念公園開園 1974(昭和49年) [市] ・(財)防府スポーツセンター体育館完成 1975(昭和50年) [国] ・JR山陽新幹線岡山~博多間開通 1976(昭和51年) [県] ・大島大橋開通 1977(昭和52年)2月2日 本社を防府市八王子一丁目 12番1号に移転 1977(昭和52年)9月1日 時代の変化を先取りし、新たに 「屋根工事と内装仕上工事の 施工並びに請負」へ事業拡大 1973(昭和48年)6月6日申請、7月20日設立 松本雄彦、古松孝蔵ほか5名(7名)が発起人となり、 「石綿スレート工事の施工並びに請負」 「その他建築材料の販売」を目的とした「山口工材株式会社」を設立 代表取締役 松本雄彦 就任 本社 防府市仁井令71番地の1 1974(昭和49年)1月26日 本社を防府市国衛一丁目1番47号に移転 (昭和48年) (昭和57年) 創業者の一人、古松孝蔵は、昭和21年(1946年)、宇部市八王子にあった漁師の家の3男4女の末っ子として誕生した。 戦後間もない時代で、当然ながら貧乏で着るものは全て兄のお古、靴はなく、草履(ぞうり)や裸足で、夜遅くまで遊びま わっていた。 貧乏で悲しいとか苦しいとか全くない、みんなが同じ境遇だった。遊び相手に事欠くことはなく、近くにあった岬小学校への 行き帰りも遊びが最優先。海や川、畑や森、空き地などどこでも遊べた。町内には、同級生が50人くらいいた。 昭和50年の天神通り商店街 昭和50年、現在のマツダ防府工場 西浦地区の 前身の塩田跡地 創業2年目の現:古松孝蔵相談役 YAMAGUCHI KOUZAI 08

その後、常盤中学校、山口県立宇部商業高等学校を卒業し、宇部スレートに入社。当時工場等の屋根に多く使われた スレートの販売に携わった。 転機は、昭和48年(1973年)、26歳10ヶ月の独立。マツダの防府市進出が決まったことから、スレート工事が増えると考え て、7名が発起人となり、波型スレート工事の施工と販売を目的に、7月に山口工材株式会社を設立した。初めは、発起人 の一人である松本雄彦が社長に就任したが、熊本県在住であったため、実質的には専務の古松孝蔵が、営業、現場施 工の段取り、職人探し、請求・集金とすべてをこなした。 当時は、工場建設や農業倉庫等で全盛期であったスレート工事の施工からスタート。スレート工事・販売の会社は他の 地域にも複数社あり、その中で時代の変化を先取りして、昭和52年(1977年)、スレート工事に加えて、屋根工事と内装仕 上げ工事の請負及び施工に事業を拡大している。この展開がなければ、当社の今はなかったであろう。 1978 1979 1980 1981 1982 マツダ防府工場 西浦地区(2018年撮影) 設立当時に行ったスレート工事(2022年撮影) 昭和53年頃の防府駅 (昭和53年) (昭和54年) (昭和55年) (昭和56年) (昭和57年) 1979(昭和54年) [国] ・第2次オイルショック [県] ・山口県立美術館開館 1981(昭和56年) [市] ・市役所南庁舎完成(現4号館) ・新図書館が桑山に開館 1978(昭和53年) [市] ・新「新橋」開通 YAMAGUCHI KOUZAI 09

1983~1992 創業10年を迎えた昭和57年(1982年)には、現在専務の柳井忠喜が24歳で入社。このころになると、屋根や内装工事も 増えてきたが、鉄鋼の得意先が連鎖倒産して不良債権が年商の40%位となり危機を迎えた。まだ売上も少なく、下請けの 職人を入れても20名弱のころで、専務の古松孝蔵は一人で悩み苦しんだ。しかし、社員に支えられ、勇気やエネルギーを もらい乗り切ることができた。 1983 1984 1985 1986 1987 (昭和58年) (昭和59年) (昭和60年) (昭和61年) (昭和62年) (昭和58年) (平成4年) 下関グリーンホテル(全景) 卸団地(全景航空写真) 1983(昭和58年) [県] ・県下集中豪雨 1984(昭和59年) [県] ・新県庁舎の開庁式 [市] ・防府卸団地が浜方に完成 1985(昭和60年) [市] ・新築地町に魚市場が移転 1987(昭和62年) [市] ・三田尻大橋(鐘紡沖)開通 1984(昭和59年)3月24日 本社を現在地(防府市大字浜方字中浜272番地22)に 新築し、移転 1985(昭和60年)9月2日 ・代表取締役 古松孝蔵 就任(松本雄彦 退任) ・県南営業所(現 山口営業所)を吉敷郡阿知須町642-1に設置 YAMAGUCHI KOUZAI 10

昭和60年(1985年)、古松孝蔵が社長に就任。その後、1級建築士の岩金照明が入社し設計部門が充実。営業、設計、 施工、管理まで当社の社員で実施できる体制が確立された。これに合わせて、ホテルの内装工事や防府市公設青果物 地方卸売市場の屋根工事など、大型物件の工事も数多く請負うようになり、さらに戸建て住宅工事の内装等も受注するな ど、事業が軌道に乗ってきた。 このため、浜方中浜に完成した卸団地に本社を新築移転し事業を拡大。併せて、当時団地内に進出した工場の屋根工 事を全て請負うとともに、防府卸団地協同組合を結成して立地企業と発展を誓った。 このような中、平成3年(1991年)、中心気圧940hPa、最大風速50m/s、暴風域半径300kmの大型で非常に強い台風 が山口県を直撃。山口県内で、人的被害をはじめ、住宅の全壊35棟、半壊650棟、一部被害36,018棟の激甚災害が発 生。当時、屋根・内装工事が主流になっていた当社も、1000件を超える復旧工事に参画。休日返上で、昼夜、県内の現場 を飛び回った。 通常の工事に加えて、災害対応。これまでに経験のない多忙な時代を経て、事業は拡大していった。 1988 1989 1990 1991 1992 台風19号による災害復旧 防府市公設青果物地方卸売市場 山口グランドホテル(内装) (昭和63年) (昭和64年/平成元年) (平成2年) (平成3年) (平成4年) 1988(昭和63年) [国] ・瀬戸大橋開通 1989(昭和64年/平成元年) [国] ・昭和天皇ご逝去、元号『平成』へ改元 ・消費税スタート、税率3% [市] ・防府市公設青果物地方卸売市場完成 1991(平成3年) [国] ・長崎県・雲仙普賢岳で大火砕流発生 [市] ・台風19号が直撃、最大瞬間風速58.1mを記録。 死者1名を含む大被害を受けるとともに停電・断水等により 市民生活に混乱をもたらす YAMAGUCHI KOUZAI 11

1993~2002 20周年を記念して、当社の社章とキャッチフレーズを社員や一般の人から公募。 この社章は、安定感のある正三角形を基に「メビウスの輪」を形取られている。メビウスの輪 には裏表がなく、縦に切っても大きな輪になる。つまり、会社も社員も、裏表のないイメージを 強調し、また常に輪(和)を大切に大きな輪(和)となるようにとの願いが表現されている。 1993 1994 1995 1996 1997 (平成5年) (平成6年) (平成7年) (平成8年) (平成9年) (平成5年) (平成14年) JA山口 佐山 防府競輪場選手宿舎 野球部を創設 1993(平成5年)6月頃 20周年を記念して、会社のシンボルマーク及びキャッチフレーズを公募 山根孝策さんの「憩・潤・夢・創造人」に決定 1993(平成5年) 社内に野球部を創設 1993(平成5年)8月1日 「建築一式工事」 「大工工事」 「タイル・れんが・ブロック工事」 「鋼構造物工事」へ事業拡大 1995(平成7年)7月11日 加工場を設置(防府市大字浜方古浜89番地1) 1996(平成8年)5月1日 加工場を移転(防府市新築地町28番地2) 1994(平成6年)9月30日 取締役 柳井忠喜 就任 1993(平成5年) [県] ・周防大橋 (山口市秋穂~阿知須)開通 1995(平成7年) [国] ・阪神・淡路大震災 ・地下鉄サリン事件 [県] ・山口県セミナーパーク完成 1997(平成9年) [国] ・消費税5%がスタート 1994(平成6年) [市] ・JR防府駅高架駅舎落成、鉄道高架が全線開通 YAMAGUCHI KOUZAI 12

キャッチフレーズ「憩・潤・夢・創造人」は、憩いと潤いと夢を追い求め、人に幸せを与える人であり続ける創造人でありた いとの思いで、社員一同さらなる発展を目指した。 平成7年(1995年)には、現在常務の井伊利章が入社し、社員も30名を超えた。社内に野球部もでき、社会人野球に参 加し、仕事以外でも社員の輪が大きくなり始めた。 この翌年の平成8年(1996年)、消費税の5%への増税が差し迫り、建築業界においても増税前の駆け込み需要により、 当社の受注も11億円を超える過去最高の決算となった。 その後、山口県では、阿知須のきらら浜で平成13年(2001年)7月から21世紀未来博覧会(山口きらら博)が開催され、 250万人を超える入場者があり大盛況を収める。当社も、多くのパビリオンの建設に携わった。このころは社員数も40名に 増えて、物流センターや保育園、店舗の新築など数多くの建物の屋根・壁・内装工事に取り組んでいる。 1998 1999 2000 2001 2002 大内光輪保育園 山口きらら博記念公園(2018年撮影) パン職人 ふたばや (平成10年) (平成11年) (平成12年) (平成13年) (平成14年) 1998(平成10年)3月10日 加工場を移転(防府市大字浜方字中浜272番地32) 1998(平成10年) [国] ・長野冬季五輪開催 [市] ・防府市地域交流センター(愛称アスピラート)完成 2000(平成12年) [県] ・角島大橋開通 1999(平成11年) [国] ・欧州に新通貨「ユーロ」誕生 [市] ・台風18号、市内各地に大きな被害をもたらす 2001(平成13年) [国] ・アメリカ同時多発テロ事件 [県] ・山口市阿知須で“山口きらら博”開催 YAMAGUCHI KOUZAI 13

2003~2012 平成15年(2003年)、現在社長の古松幸雄が入社。 平成16年(2004年)は、国保会館などの大型工事や台風災害からの復旧工事等で、創業以来2回目の売上10億円超 えとなっている。平成17年(2005年)には社員数が46名と創業以来の大所帯となった。 また、この時代に、山口グランドホテルのチャペルやサンマルコ門司の新築、グランプラス下関の改修工事など、多くの結 婚式場の工事を手掛けている。チャペルでの結婚が流行った頃で、建築工事の受注がその時代を反映している。 その後、平成20年(2008年)まで順調に推移した。 2003 2004 2005 2006 2007 (平成15年) (平成16年) (平成17年) (平成18年) (平成19年) (平成15年) (平成24年) 山口グランドホテルチャペル サンマルコ門司 2003(平成15年)6月14日 30周年記念旅行 みちのくの旅 2003(平成15年) [国] ・イラク戦争勃発 [県] ・防府新大橋開通 [市] ・まちづくり活動拠点施設(天神ピア)開館 2005(平成17年) [国] ・愛知万博「愛・地球博」開催 [市] ・台風14号襲来、市内沿岸部の一部地域に避難勧告発令される 2006(平成18年) [県] ・第21回国民文化祭開催 [市] ・市街地再開発ビル(ルルサス防府)完成 YAMAGUCHI KOUZAI 14

しかし、リーマンショックの影響で景気が大きく低迷する中、平成21年(2009年)6月に監査役であった古松孝子が急死。 陰から古松家を支え続けた妻を失い、古松孝蔵に空白の状況が続いた。そのうえ9月には、「コンクリートから人へ」を公 約に政権が交代し、公共事業が大幅に削減。企業も新たな投資を控える時期が続いた。 さらに、平成23年(2011年)3月11日、東日本大震災と福島第一原発事故という未曽有の災害が発生。 普及事業に合わせて、資材価格も高騰していった。 当社は、この時期大幅に受注が減り、社員も40人台から20人台まで減少した。平成24年(2012年)12月の政権交代ま で、苦難の時期を過ごすことになった。 2008 2009 2010 2011 2012 (平成20年) (平成21年) (平成22年) (平成23年) (平成24年) 2010(平成22年)7月1日 取締役 古松幸雄 就任 2008(平成20年) [国] ・リーマン・ショックにより金融危機が世界に波及、株価暴落 [市] ・潮彩市場・防府が、新築地にオープン 2009(平成21年) [国] ・衆議院議員選挙で民主党が圧勝、政権交代 [市] ・中国・九州北部豪雨により市内では 土石流が発生するなど甚大な被害が発生 2010(平成22年) [市] ・防府市まちの駅「うめてらす」オープン ・防府市体育館「ソルトアリーナ防府」完成 2011(平成23年) [国] ・東日本大震災 [県] ・第66回国民体育大会 (おいでませ山口国体)開催 2012(平成24年) [県] ・第63回全国植樹祭開催 ・岩国錦帯橋空港完成 防府市まちの駅 うめてらす 豪雨による災害をうけた当社のトラック 平成21年7月中国・九州北部豪雨による災害現場 (防府市勝坂) YAMAGUCHI KOUZAI 15

2013~2022 3本の矢を掲げた第2次安倍政権の政策で、公共事業の拡充、金融緩和による企業の投資も進み、併せて建築需要も 拡大していった。このため、平成25年(2013年)には、当社の従業員は24名にも関わらず、売上は9億円台までに回復。 公共工事としては、平成27年(2015年)は、湯田温泉の観光施設「狐の足あと」を整備。山口県においても、維新150年 を記念して、山口きらら博記念公園で、平成30年(2018年)に山口ゆめ花博覧会の開催が決定し、当社もステージなど の建設に関わった。 2013 2014 2015 2016 2017 (平成25年) (平成26年) (平成27年) (平成28年) (平成29年) (平成25年) (令和4年) 2013(平成25年)4月6日 山口工材株式会社創立40周年記念祝賀会 2015(平成27年)6月19日 南三陸町を訪問し、東日本大震災復興支援金の寄付 2013(平成25年)8月8日 取締役 井伊利章 就任 2013(平成25年) [国] ・アベノミクス始動 [県] ・第16回ボーイスカウト日本ジャンボリー開催 2015(平成27年) [県] ・第23回世界スカウトジャンボリー開催 [市] ・潮彩市場防府が「道の駅」として開業 2017(平成29年) [市] ・山頭火ふるさと館開館 山頭火 ふるさと館 湯田温泉観光回遊拠点施設 狐の足あと 南三陸町への寄付 YAMAGUCHI KOUZAI 16

一方、平成27年(2015年)は社員旅行で東北を訪れ、同時に南三陸町長を訪問し、震災復興の義援金を贈るなど、社 会貢献事業も実施している。 【新社長誕生】 平成30年(2018年)7月に山口工材株式会社は、45周年を迎えた。この機会に、33年間社長を務 めた古松孝蔵が会長(2023年、相談役へ)となり、古松幸雄が社長に就任して新たな体制となった。 防府市、山口市、周南市、宇部市の建設業者を中心に、専門工事業者として屋根や内装工事の下請けで躍進しようとし た矢先、世界を震撼させる出来事が発生する。新型コロナウイルス感染症が全世界に広がり、これまでの日常が非日常と なり、飲食店や百貨店、テーマパークなどが閉鎖。人との接触を減らすためイベントは中止。マスクを常時着用するなど、 人々の生活が一変した。 しかし、当社は、これまでに培った人間関係や技術力を背景に、店舗や総合病院の新築、農林業の知と技の施設(山口 県立農業大学校)整備、さらには、卸団地内の中村被服新社屋建設など、この状況下でも多くの工事に携わり、大きな節 目である50周年を迎えた。この先の100年企業に向けて現在も飛躍しようとしている。 2018 2019 2020 2021 2022 (平成30年) (平成31年/令和元年) (令和2年) (令和3年) (令和4年) 2018(平成30年)6月23日 山口工材株式会社創立45周年記念祝賀会及び役員交代式(防府グランドホテル) 2022(令和4年)4月1日 取締役 安平幸治 就任 2022(令和4年)9月2日 山口県安全衛生優良賞 (防府地区)を受賞 2023(令和5年)7月1日 創立50周年記念式典開催 2018(平成30年)7月2日 創立45周年を契機に代表取締役会長 古松孝蔵 代表取締役社長 古松幸雄 就任 2018(平成30年) [県] ・第35回全国都市緑化やまぐちフェア 「山口ゆめ花博」開催 2020(令和2年) [国] ・イギリスEU離脱 ・新型コロナウイルス感染症の世界的大流行 [市] ・新築地町防災広場(メバル公園)完成 2021(令和3年) [国] ・東京オリンピック2020開催 [県] ・山口ゆめ回廊博覧会開催 2022(令和4年) [国] ・ロシアのウクライナ侵攻 [市] ・防府市役所新庁舎建設 本格的に始動 (2024年度完成予定) 2019(平成31年/令和元年) [国] ・元号『令和』へ改元 中村被服新社屋 山口県立農業大学校(2023年撮影) 長門総合病院 YAMAGUCHI KOUZAI 17

建物の基本となる屋根。形状や種類、工法などを考慮し 見た目に美しく、機能性豊かな屋根を演出します。 屋根 YAMAGUCHI KOUZAI 18 技術の軌 跡山 口 工 材 株 式 会 社 は 一 般 住 宅 か ら 大 型 建 造 物 ま で 幅 広 く 施 工 を行 っ て い ま す 。 時 代 と と も に 工 法 も 進 化 し 、私 た ち の 技 術 も 進 化 し て い ま す 。 こ の 先 も 現 場 で 感 じ 即 時 に 対 応 で き る「 モ ノ づ く り の 精 神 」を 受 け 継 い で い き た い と 考 え ま す 。

デザインや色彩はもちろん、法定不燃建材、防火・耐火、構造物等、建物の 用途と性格にあったベストの壁材を提案し工事を行います。 外壁 YAMAGUCHI KOUZAI 19 技術の軌 跡山 口 工 材 株 式 会 社 は 一 般 住 宅 か ら 大 型 建 造 物 ま で 幅広 く 施 工 を 行 っ て い ま す 。 時 代 と と も に 工 法 も 進 化 し 、私 た ち の 技 術 も 進 化 し て いま す 。 こ の 先 も 現 場 で 感 じ 即 時 に 対 応 で き る「 モ ノ づ く り の 精 神 」 を 受 け 継 い で い き た い と 考 え ま す 。

斜め天井やアーチ天井などお客様の多様なニーズに応え、 理想の空間づくりをご提案、演出しています。 内装 YAMAGUCHI KOUZAI 20

建物の佇まいをワンランク上げる金属パネルの艶・カラーリング・アールなど繊細な技術で丁寧に仕上げています。 また、金属系外装材の成形加工も適した形状になるよう自社加工工場で行っています。 金属加工・柱脚 YAMAGUCHI KOUZAI 21

山口県は、農林業の担い手の減少・高齢化、国内外での産地間競争が激化する中、先端技術の開発と高度な 技術を持つ即戦力人材の育成を一体的に取り組むため、平成30年度(2018年)より山口県立農業大学校と 農業試験場、林業指導センターを統合した「農林業の知と技の拠点」の形成を進めてきました。 このほど令和5年(2023年)4月、防府市の大平山麓にある農業大学校の敷地に、新たに本館棟を含む多くの 施設が新築され、当社も8施設の建設に携わらせて頂きました。 「農林業の知と技の拠点 A B C 高性能林業機械実習棟 屋根、外壁、内装工事 林業作業舎&昆虫飼育・苗畑管理棟 屋根、外壁、内装工事 野菜作業舎 屋根、外壁、内装工事 A B C YAMAGUCHI KOUZAI 22

整備」に従事 D E F G H 農業研修棟 屋根、外壁、内装工事 病害虫作業舎&土壌作業舎 屋根、外壁、内装工事 飼料作業舎 屋根、外壁、内装工事 E 本館棟 天井、壁下地組、ボード貼り D F H 果樹作業舎 屋根、外壁、内装工事 G YAMAGUCHI KOUZAI 23

創立45周年記念式典 不安でしかなかった営業回り、 古松相談役の一言で救われた 東京の大学を卒業後、建設業をしていた実家へ戻るつも りでしたが、経営が傾き倒産してしまい知り合いを頼って福 井県へ就職しました。幹部候補生となり頑張ってはいました が、やはり地元へ戻りたい気持ちが強くなり実姉を頼り帰郷 しました。その当時、姉が山口工材の経理を担当しており、 専務(現在の相談役のこと、以後同)に紹介してもらい就 職。私は24歳、専務は36歳の時でした。入社後、最低1年は 現場で勉強するはずが1ヶ月後、営業への異動を命じられま した。予備知識が全くない状態でどこへ行っていいか、何を していいかも分からず、現場に戻してほしいと専務に頼みま したが「心配しなくていいから好きなようにやってみろ」と言 われてさらに悩みました。ですが、自分にとってはその言葉は 背中を押してくれた言葉でもありました。腹をくくりそれからは 迷惑をかけたくない一心で、早く仕事を覚えようと昼夜問わ ず必死でした。 乗り越えた、2度の危機的状況 当初の山口工材はスレート屋根専門だったので営業先は 鉄工所がメイン。バブル期に入る数年前、取引のあった鉄工 所が倒産しその影響を受け、危機的状況に陥りました。従業 員や職人も去り、専務と2人になってしまいましたが「これから はスレートだけではダメだ、営業先の幅を広げる」と、いかな る時も専務はとにかくポジティブで、反対に私は石橋を何回も 叩くタイプ。この両極端な性格が、ある意味良かったと今は思 います。 創業時は発起人の一人で熊本スレートの社長が山口工 材と兼務されていました。専務に社長交代の打診があったよ うですがお断りに。私は専務に言いました「事業を倒産したと いう財産を持っているから言う、今のやり方では会社は成長 しない」と専務や先輩にぶつけました。先輩からの反対意見は 厳しかったですが、賛同してくれたのは専務でした。それから 2人して死にものぐるいで仕事をし、専務は社長へ就任されま した。 バブル期は、建設業界は営業しなくても入ってくる時代。バ ブルがはじけた時も大した影響はなく順調に売り上げも伸び ていましたが、リーマンショック時期、元請けの大打撃により 下請けの我が社にも影響の波は押し寄せました。従業員は 増えていたのに、生産が上がらない状況が続き、2回目の山 口工材危機的状況に。そんな矢先、社長の奥様が突然倒 れ、1週間後お亡くなりになりました。辛い時期だったと思いま すが社長の「若い従業員に会社を残してやらんといけん」と いう話を聞き、社長が辞めるのではと危惧していた私は、もう 一度この人のために何とか力になりたいと思いました。社長 の不屈の精神には尊敬の念を抱かざるを得ません。それから 会社も持ち直し、今に至っています。 分からないことは迷わず聞く 若い人たちに伝えたいと思うことは、「聞くは一時の恥、聞 かぬは一生の恥」、分からないことはどんな些細なことでもど んどん聞いてほしい。経験値 から様々なことを教えてあげ られる、そうして知識を深め ていってほしいと思います。 これから山口工材がまだま だ盛り上がっていくために、 次の世代を育てる手助けが できればと思っています。 専務取締役 柳井 忠喜 昭和57年(1982年)入社 50年を振り返る 危機的状況を何度も乗り越えた 古松相談役の人間力 専務が語る YAMAGUCHI KOUZAI 24

常務取締役 井伊 利章 平成7年(1995年)入社 ●入社のきっかけを教えてください 学生時代に草野球を通じて柳井専務と知り合ったことで すね。私は山口工材の新卒入社第1期生なんですよ。 ●どんな仕事から始まったのですか 当時、新人研修などは簡単なもので、入社してすぐに阿東 町での現場研修が始まりました。スポーツをしていたので体 力には自信がありましたが、やはり仕事となると全然違い ALCが重かった事を思い出します。現場研修の後は営業へ 移りましたが、仕事の内容は何も分からなかったので、先輩 や職人さんに聞いたり教えてもらいながら覚えました。営業と いっても工務の管理もしながら行う特殊な業界で、お客さん とは技術的な話もしながら交渉するので覚えることは多いで すね。何十年も営業してきた中で思うことは、受注すること、 人を使うことの難しさですね。自分が思っている事を相手に 伝えられなかったり、自分の予想と逆の行動をされ元請の監 督さんから叱られたりと、若い頃は反省と勉強して学ぶことの 連続でした。 ●大変な経験もされたようですが、 記憶に残る仕事はありますか 防府市内の工場で火災が起こり、ゼネコンの下請けとして 24時間体制で復旧作業に携わった際、九州の方から職人 を集めたりなど業務管理を1ヶ月間、一人で仕切った時は大 変でした。そういった経験からも思うことは、協力会社との信 頼関係は大切だということ。普段からの付き合い方が大事 で、特に意識しているのは、とにかく「現場に行くこと」です。 現場に行って顔を見て話をすることから信頼が生まれてくる ものと思います。 ●協力会社の皆さんは大切な パートナーでもあるんですね 私は山口工材は家族だと思っています。入社当時から、厳 しく、優しく悩みも解決してくれる古松相談役は山口の親父 だと思っています。もちろん、協力会社の皆さん無くして山口 工材は成り立ちません。大切な家族でありパートナーです。 ●井伊常務の座右の銘など 教えていただけますか 「All for one One for all」通常は逆ですが、中学時代の 恩師の言葉で、「みんなが一人のことを守ることによって、一 人がみんなを守れるようになる」チーム力を磨く精神だと胸に 刻んでいます。それともうひとつ、「歩には歩なりの意地を持 て」。これは北島三郎の歌詞にあり、将棋で歩は一歩ずつし か進めず一番弱い駒ですが、最前線で体を張っています。そ んな歩でも歩なりの意地(仕事に対するプライドや責任感)を 持って行動すれば、目標を達成することもできるという願望も 含めています。 ● 最後に100年企業に向け、目指すことは? これから先、さらにIT化が加速し、情報の伝達や仕事の 効率化がスムーズ行われることでしょう。100年企業を目指し 生き抜くためには、人材育成も欠かせません。少子化も進ん でいますから、入社する人たちを社会に貢献でき企業にとっ て必要な人材へ育てるこ と。これが役員として課せ られた仕事だと思います。 困っている社員を他の社 員が手を差しのべる、そん な温かみのある企業へ成 長してもらいたいです。 Q Q Q Q Q Q 信頼関係を築くには 日々の積み重ねから 常務にインタビュー YAMAGUCHI KOUZAI 25

安全衛生大会 社員とともに 山口工材株式会社の社員と協力会社の皆様とともに毎年、4月に安全衛生大会を行っています。 「健康に、かつ安全に働く」ことを大会テーマとし、改善事項や新たな事例の紹介など、 全員参加で真剣に取り組んでいます。 令和5年(2023年)4月に開催した大会では「ともに少しずつでも日々成長し、緩やかな右肩上がりで 100年企業を目指しましょう」と社長訓示がありました。 YAMAGUCHI KOUZAI 26

社員とともに 地域・社会貢献 これまでにボランティア清掃を始め、震災復興支援への寄付など様々な地域・社会貢献を行ってきました。 今後もこのような取り組みを通じて、山口工材株式会社の情報発信を広く行ってまいりたいと思います。 A 2015年6月、宮城県南三陸町へ訪問し、震災復興支援金を寄付した際の町長からの礼状と津波に耐えた奇跡の一本松 B 毎年行っている会社近辺の溝掃除ボランティア C 2018年2月、現:相談役が年男にて防府天満宮節分祭で行った豆まき D 2018年7月、熊本地震で被害にあった熊本城を訪ねた震災研修 E 2018年8月、平成30年7月豪雨(別称:西日本豪雨)災害による支援金を防府市長を通じて寄付 F 2022年9月、山口県労働基準協会防府支部主催「防府地区安全衛生大会」にて優良賞を受賞 A A B C E F D YAMAGUCHI KOUZAI 27

社員とともに 研修旅行・親睦行事 社員や協力会社の皆様と日本の各地に行った研修旅行では、その土地の風土や文化に触れ、多くのことを学びました。 また、協力会社の皆様や社員同士の交流促進のため、いろいろなイベントも行ってきました。 A 1980年沖縄県 B 1981年石川県 C 1987年和歌山県 D 1994年静岡県 HI「運動不足は誰だ!? 秋の大運動会」近隣の小学校のグラウンドを借りて行っていました J ゴールデンウィークに行ったバーベキュー、飲んで食べてお腹も大満足! K 山口工材のマスコット、柴犬の『太郎』!居るだけで癒されます L「1993年に創設された野球部」全盛期には西日本軟式野球東部大会で優勝するほどの実力でした E 2008年福岡県 F 2015年宮城県 G 2018年熊本~大分県 A B C H I J G F L K E D YAMAGUCHI KOUZAI 28

社会貢献事業として、防府市・宇部市、西京銀行の関係者ご協力のもと、ACT SAIKYOバドミントンチームから、選手5名と監督・ コーチをお招きし、ホテルココランド体育館にてバドミントン教室を開催しました。ジュニアバドミントンチーム所属の小中学生 およそ50名に参加いただき、初歩的な指導から最後は選手相手にゲーム形式で対戦し、怪我もなく楽しい時間を過ごしました。 創立記念行事に先駆けて2023年2月16日、冬晴れのなか、当社敷地内に 「松」の植樹を行いました。 前日の6月30日夜半から7月1日未明にかけ活発な前線の影響により、山口県で線状降水帯が発生し、記録的な大雨となり ました。ところによっては、河川の氾濫など被害が出るほどで無事に開催できるのか心配はつきませんでした。しかし、時間と ともに天候も少しずつ回復し、「子ども夢プロジェクト」開催時間のころには小降りとなり、関係者一同、安堵いたしました。 創立50周年記念行事 山口工材株式会社 【とき】2023年7月1日(土) 【場所】ホテルココランド(山口県宇部市上宇部黒岩75) 子ども夢プロジェクト ACT SAIKYOバドミントン教室 創立50周年を記念し、盛大に式典や記念行事を執り行いました。 【9:00~12:00】 開会式・記念撮影 / ACT SAIKYOによるバドミントン教室 / 閉会式 第2部 記念植樹 第1部 創立50周年記念式典の行事 YAMAGUCHI KOUZAI 29

【16:00~17:00】 午前中は止んでいた雨が式典開始前に降り出してしまいましたが、足元の悪いなか、ご来賓、社員、協力業者様、無事に ご列席いただきました。定刻に開始し、式次第に沿って進行。緊張した面持ちの社員も社長の経営方針発表に皆、決意を 新たに身を引き締めているようでした。 記念式典 開会の辞 / 社長挨拶 / 来賓紹介 / 永年勤続表彰(社員)/ 感謝状贈呈(協力業者)/ 新体制発表 / 経営方針発表 / 閉会の辞 / 記念写真 第3部 YAMAGUCHI KOUZAI 30

【18:00~20:30】 祝賀会ご列席の来賓をお迎えし、いよいよ最後の記念行事となりました。祝賀会会場では、和やかな雰囲気のなか進行して いきました。会の途中では、当社の50年の歩みをまとめた映像を流し、相談役の長年の功績と感謝を込め花束の贈呈を行い ました。午前中の夢プロジェクトから始まり、祝賀会までと長い1日となりましたが、関係者の皆様には予定通り何事もなく開催 できたことに心より感謝申し上げます。 記念祝賀会 開会の辞 / 主催者挨拶 / 来賓祝辞 / 乾杯 / 祝電披露 / 歓談 / 映像放映 / 花束贈呈 / 歓談 / 万歳三唱 / お礼及び閉会の辞 第4部 YAMAGUCHI KOUZAI 31

令和5年(2023年)9月16日~18日の2泊3日の行程で、山口工材株式会社の社員・協力会社の方、総勢30名で北陸に 記念研修旅行に行きました。研修視察や宴会で親睦を深め、今後の会社のさらなる発展を誓いました。 北陸研修旅行 【1日目】 金沢市兼六園 / 金沢21世紀美術館 / 和倉温泉泊 【2日目】 世界遺産「白川郷合掌造り」/ 那谷寺参拝 / 山代温泉泊 【3日目】 九谷焼会館 / 永平寺参拝 第5部 YAMAGUCHI KOUZAI 32

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我ら、創造人 100年企業に向け、山口工材株式会社の次世代を担う若手・中堅社員と古松社長による座談会を行いました。 古松社長(以後、社長):忙しいなか、集まっていただきあ りがとうございます。50周年記念企画ということで、皆さん が山口工材をどう思っているのか仕事にどう取り組んでい るかなど、ざっくばらんに話してください。 社長:始めに、入社時の山口工材の印象や思い出を教え てください。 乙石:入社した当時は、設計担当の上司について仕事を 覚えることができました。頼れる人がいるという環境は恵ま れていたなと今では思います。 宮川:一番の記憶は入社した日、事務所の人たちが大きな 声で挨拶してくれて驚いたことをよく覚えています。元気が ある会社だと言うイメージでした。 宮村:建設業は怖いイメージを持って入社しましたが、 やっぱり怖かったです(笑)。でも実際は優しい人ばかりで 安心した思い出があります。 山﨑:私も宮村さんと同じでした。 社長:そうだったんですか。山﨑さんが高校生の時だった かな、JC(I 防府青年会議所)の街づくりボランティアを通 して知り合い、私が声をかけたんですよね。入社したころ はパソコンも打てなかったけど、今ではCADも使いこなし て頑張ってくれてますね。久永さんはどうですか? 久永:役員面接の時、すごく緊張して汗だくでした。そこに YAMAGUCHI KOUZAI 34

代表取締役社長 古松 幸雄 1972年生まれ(2003年入社) 趣味:献血、シティサイクル、ゴルフ 設計課 課長 乙石 信也 1976年生まれ(1994年入社) 趣味:動画鑑賞 施工課 係長 宮川 寿夫 1974年生まれ(1996年入社) 趣味:ドライブ、動画鑑賞 ホットコーヒーを出していただいたんですが、これ以上、汗 をかきたくなかったので飲まなかったですけど(笑)。面接 中からアットホームな雰囲気で、入社してからも同じ雰囲 気だったので安心できました。 篠原:私は県外から地元の山口に戻る際、知り合いに紹 介されました。実は2回面接を受けて1回目はあまり建設業 を意識せず受けたので、しっかり考えた上で建設に興味 を抱きもう一度、受けさせてもらうようお願いしました。 社長:皆さん、様々な思いで入社していただいたんですね。 日々、皆さんを見ていて個性があって面白いなと私は思っ ています。乙石さんは、社内の雰囲気や社員の困りごとなど 色々と影からアドバイスをくれますし、宮川さんは職人気質 で寡黙で真面目、安心して任せられます。宮村さんも口数 は少ないけど、職長として後輩や職人さんへの面倒見も良 くて現場にいると安心できます。久永さんは、すごくハッキリ した性格。愛されキャラでムードメーカーですね。工務とし ての力量は評価しています。篠原さんは営業職として会社 と職人さんとの板挟みで苦労もしていると思いますが、経験 を積んでもっと盛り上げてほしいと期待しています。 社長:苦労したエピソードなどあれば聞かせてください。 久永:宮村さんが職長で現場に入ってもらっていた時、屋 根工事の施工で屋根サイズの発注ミスをしてしまいました。 血の気が引く思いをしましたが、その際、誰一人として自分 を責め立てず対策を練って下さった時は、本当にこの会 社で良かったと思いました。次は同じミスをしないようにと アドバイスをもらって、改めて身を引き締めました。 宮村:普段の明るさが消えてすごく深刻な表情だったので 覚えています。あ~やったなって思いましたね。すぐに彼の 直属の上長に相談し対策を講じました。久永くんを怒るより 早急に対処しないと工程が大幅に遅れることにもなるので。 篠原:私も材料の発注をする際、たまにミスをすることもあ ります。その場合、職人さんがその違う材料でもどうにか対 応できるようにしてくださり助けていただいています。 社長:そうですね。誰しもミスはあります。私が思うには、失 敗したら原因を考え同じ過ちは繰り返さないようにする。満 点を取らなくても良い、苦手なところを1点、2点と上げて 行ってくれればいいと思います。 YAMAGUCHI KOUZAI 35

施工課 課長 宮村 恵朗 1984年生まれ(2002年入社) 趣味:ドライブなど 金属加工工場 係長 山﨑 拳一 1994年生まれ(2015年入社) 趣味:ゴルフ 工務課 係長 久永 瑠威 1995年生まれ(2018年入社) 趣味:釣り、ドライブ 社長:では、仕事をしている上で、心がけていることや気を つけていることなどあれば教えてください。 乙石:期限内に提出することを心がけています。一人で行 う作業なので、変更や大変なことも設計が遅れると後工程 に響いて他の業者さんにも迷惑がかかりますから、なるべく 早く仕上げるように気をつけています。あと、健康にも。 宮村:私は現場なので安全第一です。営業が仕事をとっ てきて、工務が管理し、設計し、加工したものを最後、現場 で施工する際に何かあったら大変ですから。もう一つ、一 緒に作業してもらう人が効率よくできるよう段取りするのも 自分の仕事と思っているのでそういったところに気をつけ ています。 宮川:一緒に仕事をする人に対して、指示などの伝え方に 気をつけています。人によって性格も理解度等も違います から、どう言えば伝わるか、分かってもらえるかを考えるよう 心がけています。 社長:さすが中堅社員の皆さん、全体がよく見えています ね。社歴が長くなると通常業務に加え、後進指導などやら ないといけないことも増えると思いますが大いに期待してい ます。では、若手社員の皆さんはいかがですか? 篠原:個人的には建設の業界をあまり知らずに入社した ので「日々勉強、日々進歩」を意識し業務に取り組んでいま す。加えて「職人さんに対する感謝の気持ち」を忘れない ようにしています。職人さんがいないと仕事が成り立たない ですから、対等に協力しあっていければと思います。 山﨑:施工してもらうためのものを加工しているので、現場 に合うもの、施工に時間がかからないなど、どんな加工にも 対応できるという能力とセンスを磨いていきたいと思ってい ます。 久永:第一優先で職人さんの手を止めないことです。工程 をしっかり管理し、遅延なく施工していくかを考えるようにし ています。あと、現場に行き職人さん全員に声を掛け、雰 囲気がよくなるように努めています。 社長:では最後にこの先、どんな会社にしていきたいと思 いますか?挑戦してみたいことなどあれば教えてください。 篠原:もっと建設について多くを勉強し、契約が取れるよう YAMAGUCHI KOUZAI 36

営業課 課長 篠原 智也 1984年生まれ(2019年入社) 趣味:ゴルフ にしていきたいと思います。契約が取れたときはとてもやり がいを感じますから。 山﨑:建築系以外の加工もさせてもらってるんですが、もっ と勉強して知識と技術力を高め、いろいろな加工ができる ようになって新しい「ものづくり」にも挑戦してみたいです。 久永:外装・内装の管理をどちらもできるようにしたいで す。あとは、自分の取り柄でもあるコミュニケーション力を活 かして職人さんも増やしていきたいと思っています。 宮村:後輩社員が現場で一人でも職人さんをまとめてくれ るぐらいに育ってくれればと思います。職人さんも育ってくれ たらと思います。 宮川:個人的ですが、材料や時間のムダをなくし、効率よく 生産性を上げていきたいと思います。 乙石:自分は社長と年齢が変わらないので、山口工材の 未来を考えると設計担当の社員を早く採用してもらい、育 てていければと思います。社長の右腕として体の続く限り 頑張ろうと思います。 社長:私から皆さんに一番言いたいことは、後進の指導を していただき次の世代の礎になってほしい。相談役が起 業し、私が引継いで次に誰かにバトンを渡し、100年へと 繋いでいってほしいです。お陰様で当社もここ10年ぐらい で防府市内でも認知されてきたと思います。これからも下 請け業に徹しながらも社員の知識と技術・技能を活かせ ることを他分野でもチャンスがあれば挑戦してみたいと 思っています。各部署の層が厚くなれば、できることの幅も 広がりますからね。 社長:皆さん、ありがとうございました。本音も少し聞けて私 も安心しました。100年企業山口工材を目指し、これからも よろしくお願いします。 YAMAGUCHI KOUZAI 37

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